今回はバンブー屋敷を追い出された際の経緯についてお話したいと思います。
バンブー屋敷、私から出て行ったのではなく、突然ある朝バンブーじいさんの怒りをかってしまい追い出されてしまいました。今思えば回避できたことはたくさんあったと思うのですが、当時はちょっと気が強かったんでしょうね。私の至らなさで残念な別れ方になってしまいました。
- Australiaワーホリ2年間(2013~2015年)
- NZワーホリ1年間(2016~2017年)
- 滞在中はジャパレスでのアルバイトを楽しむ
- ラズベリーピッキングで2ndビザ取得
- 半年ごとに都市と仕事を変えながら移動
ファームステイ先のオーナーバンブーじいさんとの関係性
どれくらいの期間ファームステイするかははっきり決めていませんでした。オーナーのバンブーじいさんからも今でいても構わないと言われていました。実は私、バンブーじいさんに結構気に入られていました。
バンブーじいさんが一人でテレビを見ているときは必ず
紅茶かコーヒー飲む~~?
と聞いて、飲み物を用意したりしていたからでしょうか?まあ、日本人なんでみんな同じようにすると思いますが。
バンブーじいさん料理中、片づけは全くしません。
バンブーじいさんが作っている間、必要なくなったナイフなどは洗って次にすぐ使えるようにしたりと、バンブーじいさんから何か言われなくても先回りしていたので、バンブーじいさんにとって私は、痒い所に手が届く便利な存在だったんだと思います。
そんな私に対してバンブーじいさんは
good girl~!!!
と言ってくれていました。
good girl
いい子だね~的な意味で、よくペットや小さい子供に使う言葉です。
もちろん男の子に対してはgood boyになります。
そう言われるだけならいいんですが、バンブーじいさんはたいていその時私の腕をなでなでしてくるんです。これが気持ち悪くて本当に嫌だった・・・だけどやめてって言えなかったんです。
海外だからスキンシップ的な感じでこういうもんかと思っていました。でも、最初の時点で「触らないで」って言っておくのが正解です。
それ以外についても、以前にも少し書きましたが、バンブーじいさんは毎朝
俺はオーストラリアの中で一番ナイスなホストだと思うだろう!?
ヘルパーにこんなにおいしいご飯を作って、きちんと休みを与えて、休日にはカフェにも連れて行ってやる・・・中にはご飯も与えず重労働をさせているヤツもいるんだぜ。
やっぱ俺って最高だな!!
のようなことを言ってきます。
最初の頃は私も、そうなのか。私ってラッキー!!と思いながらバンブーじいさんに感謝を伝えていました、笑顔で。
でもだんだん慣れてくるとイライラするようになります。
- 片づけは自分でしないし
- 片づけた際から散らかすし
- 料理も汚れたまな板のまま、別の料理を作りだしたりする
その不潔さに私はだんだん目がつむれなくなっていきました。
一度目の「出ていけ」
今思い返すと、本当になんでこんな小さいことにこだわっていたんだろうという事件で恥ずかしいですが・・・バンブー屋敷には赤と青と黄色の3種類の布巾がありました。せっかく三色あるので、それぞれで役割を決めていました。
- 赤…テーブル用
- 青…まな板用
- 黄…食器用
👆こんな風に。これはバンブーじいさんに言われたのではなくて私が勝手に決めて使っていました。
だって、バンブーじいさんは片付けや洗濯なんてしないから伝える必要はないと思ったんで。
そんなある日、とある事件が起こります。バンブーじいさんが私の部屋に設置するための机を倉庫から引っ張り出してくれたんです。
ちなみに私は、机が欲しいなんて言ってない。でもちゃんとお礼はすぐに言いましたよ。バンブーじいさん、すっごい満面の笑みで
だるがり~~
君のために机を見つけてきたよ。これを君の部屋に置いたら便利だろー!
と超絶ホコリまみれの机を手にして言ってきました。
問題はここから・・・このホコリまみれの机をよりによって青い布巾で拭いたのです。
青い布巾はまな板用だよ~~!!
別に怒った口調でもなかったんですがどうやらこのセリフがバンブーじいさんのカンに触ったようで、
この家は俺のものだぞ!!俺に指図するな!!何色のものを使うなんて俺の勝手じゃないか!!
と怒鳴りだします。
私、こういう俺様的な人、だいっきらいなんです。当時は特に今よりも気が強かったので、そんな風に言われて言い返さないはずがないです。
そうはいっても、あなたは片付けなんて一つも自分でしないじゃない!!布巾は普段私たちヘルパーしか使わないから勝手にルールを作ったけど、それ以外にもあなたの思うようにしか動いたらいけないなんてそんなのまるでslaveじゃない!!!
これは言いすぎですよね。ここを黙ってごめんね、って言えたら違う未来があったんだろうな・・・(あんまり公開してないけど。)思い返してもひどいと思う。
もちろんバンブーじいさんブチぎれです。
slaveだと!!!!
ふざけんな、毎日おいしいご飯を食べさせて部屋も与えて自由もやっているのに何が奴隷だ!もういい、今すぐ出ていけ!!!
そりゃそうなりますよね。そう言ってバンブーじいさんは車に乗ってどっかへ消えていきました。
実は、この事件が起こったのはオーストラリア到着後3日目です。
早すぎません??
このまま追い出されてもオーストラリアの生活にも慣れてないし、どうやって生きていけばいいのかわからなかったので、困り果てました。で、冷静になって考えた結果謝ることにしました。夕方バンブーじいさんの車が帰着した音がしたのを聞いてすかさず迎えに行き、謝りました。バンブーじいさん、車から降りてくるなり私にハグをして
オーストラリア人はこうして関係をfixするんだよ。
もうあんな風に怒鳴らせるようなことはしないでくれ。俺は心臓が悪いんだ、頼むよ。それに本当に出て行ってほしいなんて思ってないよ。わかってくれてうれしいよ。
ドラマのワンシーンみたいでしたね。わかってはないですけどね…私はそのハグされている間も耐えてるだけでしたけどね。バンブーじいさんは許してくれたみたいです。こうやって一度目の「出ていけ事件」は事なきを得たわけです。
二度目の「出ていけ」
それから10日間くらい、今まで通り何もなかったように暮らしていました。ワークメイトのエイちゃんともかなり仲良くなっていたので仕事中も夜も日本語で会話をしていました。時にそれがバンブーじじいは気に入らなかったんでしょうね。
girls,しゃべるのはその辺にしてもう寝たらどうだ!?
隣の部屋から天の声のように発していました。
この間に私の誕生日があったので、バンブーじいさんが町で一番有名だというイタリアンレストランに連れて行ってくれました。その日は平日だったんですが完全day offにもしてくれました。
相変わらず毎朝のように俺はオーストラリアで一番ナイスなホストだぜー!!を言っていました。面倒くさいなと思いながらも、きちんと笑顔で対応していたつもり。
で、ある日のこと。ちょっと天気がわるかったのかな・・・私自身の機嫌が少し悪くて、いつもの定型句にイライラしてしまいました。
俺はオーストラリアで一番ナイスなホストだろ~
知らないよ、そんなの。私はオーストラリア人のホストはあなたしか知らないんだから、比べようがないよ。
・・・なんでこんなこと言うんでしょうね??当時の私は・・・もちろん、バンブーじいさん大激怒です。。
誕生日にイタリアンもごちそうして、ケーキも買ってやったのに、どれだけ惨めな思いをさせれば気が済むのか・・・みたいなことを言われました。
今すぐに持つまとめて二人とも出ていけ!!!!
その時はすでにオーストラリアに2週間滞在していました。なんとなくオーストラリア人とはどういうものか、ばんぶーじいさんのおかげで学べたし、エイちゃんにたくさん生活をする上での知識もらっていたので、もう謝る気にもなりませんでした。
ただただ、何もしていないエイちゃんが巻き添えになってしまったのは申し訳ない。
エイちゃんも状況を理解してくれて、二人でさっさとパッキングして出ていくことにしました。
バンブーじいさんの優しさ
バンブーじいさんの優しいところは、出ていけっと言っておきながら放り出すのではなく、きちんと車を出してくれること。airliebeachのバックパッカーが立ち並ぶ割と便利な場所に降ろしてくれました。本当感謝!!
この辺のバックパッカーがいくらするか知ってるのか!?どれだけ俺の家が暮らしやすかったか思い知るがいい!!
みたいなことを別れ際に行っていましたが、実際泊まったのは8人部屋のバックパッカーだったこともあってそんなに高くなかったです。一泊2,000円くらいでした。
バンブーじいさんと別れてから、バンブーじいさんは一体何を怒っていたのかエイちゃんと考えてみました。
じいさんは日本語で私たちがやり取りしているのを疎外感を感じていたのではないか・・・とかそもそも私だけではなくエイちゃんも追い出したことについても、私一人にするのは不安なんでしっかりしたエイちゃんを一緒に追い出すことで安心できたのではないか・・・とかエイちゃん巻き込んでしまった件についても、
- エイちゃんは追い出される日の2日後にバンブー屋敷を卒業予定だった
- バンブーじいさんは2日後にエイちゃんがケアンズ行きのチケットを持っているのを知っていた
- エイちゃんの滞在目的だったセカンドビザのための要件はすでに満たしていた
- セカンドビザのためのサインはきちんと書いて渡してくれていた
- エイちゃんが出て行った後の生活を私が危惧していた
上記を加味した結果
バンブーじいさんの優しさだと思う。
とエイちゃんが言っていました。
巻き添えをくってもなお女神のような分析をするエイちゃん、素敵すぎますね。
この事件を通して学んだこと
この事件は本当に最初に起こってよかったと思っています。この事件を教訓に、私の気の強い部分がだんだんと薄れていったから。そうした方が事なきを得ることが多かったし、知り合いの少ない土地で現地人を今回のように怒らせるのは得策ではないと気づいたから。
何か我慢できなくて言い返したくなる気持ちが出てきたときは、この事件を思い出して冷静に未来を分析するようになりました。
追い出されるのが怖いから。笑
残念なことに私はブリスベンのシェアハウスでもオーナーに追い出されかけます。笑
そして、ワーホリ11か月目にタスマニアのファームステイでも奴隷生活を強いられます。
その時にバンブー屋敷での生活のほうがマシだったな・・・と思ったことも。(このタスマニアでの奴隷生活は、バンブー屋敷の頃の私とは別人のような対応をして難を逃れました。)
すぎてみればいい思い出の一つなのです。今振り返ってみると私はこのバンブーじいさんを傷つけてしまっていたんだなと猛反省。ワーホリ最後のほうに出会っていたら笑顔でサヨナラいえる仲になれていただろうな~。
いずれにしてもいろんなことを教えてくれたバンブー屋敷での生活はこれにて終了です。
それでもまだワーホリ開始2週間までの出来事ですので、残り約2年分のお話よろしければお付き合いください。