今回は私だるがりがオーストラリア2年の間に移動したオーストラリアの都市を時系列で振り返っていこうと思います。
- Australiaワーホリ2年間(2013~2015年)
- NZワーホリ1年間(2016~2017年)
- 滞在中はジャパレスでのアルバイトを楽しむ
- ラズベリーピッキングで2ndビザ取得
- 半年ごとに都市と仕事を変えながら移動
オーストラリア2年間の滞在地まとめ
私は、だいたい半年ごとくらいで土地を移動しています。せっかく広いオーストラリア、たくさんの場所に住んでみたいと思ったから。詳細はそれぞれまた別で書こうと思うんですが、ザックリと2年間の軌跡を紹介します。
ヘルプエクスチェンジを利用してヘルパーとして滞在。バンブー屋敷で労働力を提供の代わりに、家賃ゼロで生活。ホームステイやファームステイに近い感じ。
初めてのシェアハウスとアルバイト
セカンドビザ取得を決意し、ファームの為に移動。ファームまでの空白時間をおしゃれシティーメルボルンで過ごす。滞在中は、ベビーシッターをしながら出費を抑え生活。language Exchangeに積極的に参加したおかげで友達ができ、楽しく過ごす。
キャラバンに住みながら、ラズベリーのピッキング。ファームジョブは向いていないことに気づく。励ましてくれる仲間の大切さの再認識。
セカンド申請までの必要日数をクリアするため次のファームをリサーチ。ファーム行く前にメルボルンで1か月生活していたときのつながりで、格安で泊めてもらう。
セカンド申請日数をクリアする為、アニマルファームのヘルパーへ。(ヘルプエクスチェンジ利用)
はじめての完全英語環境に心が折れ、初のホームシックにかかる。
セカンドも無事申請。2か月くらいお寿司屋さんでバイト。
ショートトリップ
グレートバリアリーフ等、悪天候の中全力で楽しむ。
エメラルドグリーンの海を拝みにパースへ。海の美しさと、人の少ない田舎さに感動。
ニューイヤー花火を見にシドニーへ。やっぱり都会は人が多い!
一番落ち着くブリスベンに舞い戻り。大好きなバイト先の仲間とシェアハウスのメンバーと楽しくゆったり過ごす。
オーストラリアにいるなら一度は行ってみたいウルル。セスナやラクダに乗ったり非日常を体験
帰国前の、たった数時間のトランジットだったけど寄ってよかった。気候さえ落ち着いてくれれば永住したい街、メルボルン
悲しみの日本到着。オーストラリア楽しすぎて帰りたくなかった。
ウィットサンデープロサーパイン
これはすでにブログでも書いた通りワーホリ最初の滞在地、クイーンズランドのプロサーパインでの出来事です。初めに降り立ったゴールドコースト空港からプロサーパイン空港まで移動し、最初の滞在地バンブーじいさんの住むバンブー屋敷での生活が始まりました。
竹藪に囲まれた、竹づくりを生業とするじいさんの家にステイさせてもらっていました。私はここをバンブー屋敷と呼んでいます。笑
わからないことだらけでバンブーじいさんを怒らせたこともあったけど、女神のようなエイちゃんという素晴らしいワークメイトとの出会いもありました。ここに滞在したのはたった2週間。ワーホリスタートにしては割と波乱と試練の幕開けとなりました。
ブリスベン
バンブー屋敷を追い出されて向かったブリスベン。幸運にもアルバイトとシェアハウスが見つかったので、ブリスベンには半年ほど滞在します。
ブリスベン大好きだったのでずっと住んでもいいとも思っていました。ただ、オーストラリアのワーホリは就労制限があって、半年以上同じオーナーのもとで働くことができません。どうせアルバイトをやめるのであれば、土地も気分も変えて、また新しい一歩を踏み出してみよう!ということで移動することにしました。
あとは、セカンドのためのファームも気になっていたのでそろそろ動かないと…という感じでした。
ワーホリビザの就労制限(日本人がオーストラリアで働く場合)
同一雇用主のもとで最長6ヵ月間の就労まで可能
セカンドワーキングホリデービザ(オーストラリア)
特定の地域で季節労働を3か月以上することで、もう一年オーストラリアに滞在することができるビザ。
メルボルン
夢にまで見たメルボルンでの生活。メルボルン周辺での暮らしはこの時はたった一か月間。
実は、バンブー屋敷で出会ったエイちゃんにファームを紹介してもらっていました。ヴィクトリア州のトレンサムというへんぴな場所。ヴィクトリア州に早めに移動したのもあって、就労開始時期まで1か月ほど自由時間がありました。せっかくなので観光を兼ねてメルボルンに滞在。ブリスベンである程度お金もたまっていたので、ここでは割と節約することなく自由に過ごしていました。カフェだったり、ヴィクトリア州内をショートトリップだったり、めちゃくちゃ楽しかった!
この時language exchangeで出会った人たちとのつながりがあって、のちのちメルボルンに住むことになるのです。
そういえば、この1か月はベビーシッターみたいなことをしていました。小学生の子供の送り迎えをする代わりに滞在費をタダに!
トレンサム(ファーム)
ヴィクトリア州からVlineとかいう電車に乗ってメルボルンからは想像ができないほどの田舎に到着。ファーム・・・しんどかったです!!
生活は楽しかったのですが、とにかく仕事が体力と気力の勝負。朝は6時に仕事開始。変な気候の地域で夜は8度、昼間は40度を超えたりと心が折れそうな天気。慣れない仕事にダブルパンチで毎日辞めたいと思っていました。
仲間たちの励ましもあって最後まで務めることができました。ちなみにこの時の時給は20ドル(2023年)
キャラバンパークではないですが、ファームのオーナーが拾ってきたようなさびれたキャラバンを自身の土地に置いていました。1つのキャラバンに4人までのベッドがあり、このファームで働いている人は強制的にそこに収容。笑
メルボルン
ファームでの修行を終え、無事メルボルンに帰ってきました。でも、私には残された時間が少なかった!このころにはもうセカンドビザのことしか頭になく、毎日受け入れ先を探してはアプライする・・を繰り返していました。ビザが切れるまで2か月弱くらいしかないのに、セカンドを申請するためのファームで働かないといけない日数は、あと一か月程度必要でした。焦りで毎日絶望。2か月前に始めてメルボルンを訪れた時のように、悠長な生活は全くできず。結構ストレスでした。
セカンドワーホリビザ
申請するためには特定の地域での季節労働を3か月以上(88日以上)する必要がありました。
その日数はファーストビザ(最初のワーホリのビザ)が終了するまでにクリアしないといけません。
タスマニア
バンブー屋敷の際に利用したヘルプエックスで、行ってみたかったタスマニアに狙いを絞りアニマルファームにたどり着くことになります。タスマニアのホバートにあるアニマルファーム。夫婦で経営されている小さなファームです。
ここでの1か月間が、私のオーストラリアワーホリの2年間の中で一番つらかったかも。
はじめての完全英語環境+ヒステリックなファームのママ・・・アニマルファームのオーナーはおそらく旦那さんの方なんですが、実権はママが握る強い女性でした。
仕事内容というよりは、このタスマニアのママとの付き合い方が上手くいかずしんどかったです。何度も逃げ出してしまおうと思いました。最終的にはこのママの行動に心が洗われて、結局一か月ちょっとお世話になることになります。
田舎だったので、毎日ポストカードにでもなりそうな夕焼けを見れたことで癒されていました。
メルボルン
またまたメルボルン。メルボルンに帰ってきて、すぐにセカンドを申請。その日のうちに承認されました。その日のうちにというか、1分後くらいにはメール来てた気がする。
最初の滞在時に一定数の友達はできていたし、土地勘もあるし、おしゃれだし・・・
実はこの時残りの1年間は、まるまるここメルボルンで過ごそうと決めていたのです。が・・・ここでもいろいろありまして・・・大好きな大好きなメルボルンを離れる決意をします!
ケアンズ
これは旅行ですね。メルボルンで出会った日本人のお友達が帰国するとのこと。その前にケアンズに寄って帰るってことで、追いかけて行って一緒にケアンズを旅行しました。グレートバリアリーフとか世界の車窓からの電車とか、熱帯雨林とか・・・
スカイダイビングも申し込んでいたけど、悪天候で中止に!
残念というよりはホッとしたのを覚えています。ケアンズ、日本人だらけでびっくり。
パース
メルボルンから離れるって決めたときに目的地もすぐに決まっていました。
西側の海はエメラルドグリーンでとってもきれいだよ
と言われていたので、それを見ずにはいられないじゃない。だから即パース決定。
先人たちの言う通り。パースの海、本当にキレイ!特におすすめはロットネストアイランドです。また詳細はブログにしようと思いますが、パースからだとすぐなのでぜひ行ってみてくださいね。
パースはすでにブリスベンで習得していた寿司巻きのスキルのおかげですぐに仕事も決まりました。アルバイトを掛け持ちしたりして忙しく過ごしていました。
ゆっくりできる部屋が欲しかったので、初めての一人部屋に住むこともできました。私のワーホリ生活の中で一番ラグジュアリーなお部屋だったな。
でもルームメイトがいないのはやっぱり寂しかったです。
シドニー
年末年始の花火大会見に参加する為、シドニーに行くことに。出発日を結構ぎりぎりに決めたのと、年末のフライトだったのもあって航空券高かったなー。国際線のるくらいの金額でした・・・
でもそれを払う価値のある素敵なニューイヤー花火を見ることができました。
結局ブリスベン
パースに住んでいたころ、今後の生活地点をどうしようか真剣に悩みました。
パースの寿司屋に半年つとめたのでそれ以上は働けないし、パースに住むにしても新しいアルバイト先を探さなければならない・・・でもこのままパースでいいのか?とか・・・ビザの期限がたっぷりあれば迷わず移動したと思うんですが、当時私のビザの期限は3か月しか残されていなかったのです。
新しい土地に移動してもビザが3か月しかない人を雇ってくれるところもないだろうな・・・
と真剣に悩みました。そして私はブリスベンでお世話になったジャパレスの店長に連絡するのです。ビザ3か月しかないけど即戦力なのでこの方法しかないと思いました。無事に雇ってくれることが決まったのでブリスベンに帰ることにしました。
オーストラリアワーホリの就労制限について
同一雇用主のもとでは6か月以上の就労は認められていません。
が、ビザが変われば事情も変わる・・・
私がこの同一雇用主のもとで働いた期間は
・ファーストビザ…6か月
・セカンドビザ…3か月
トータルで6か月を超えていますが、ビザが変わっているので問題ないのです。
ここでの3カ月の生活、最高に楽しかったです。アルバイトは最初のビザの頃のようにガッツリ入れてもらわず週3とか4とかで時間も短めだったので、ゆったり過ごすことができました。
ウルル(エアーズロック)
最後の旅行はウルルへ!!
3,4日滞在したと思います。3月だったこともあってなかなか時期的に、暑すぎることもなく楽しむことができました。ここではラクダに乗ったり、セスナにのったり・・・泊まるところは結局バッパーでしたが、私にしては豪遊でした。
メルボルン
最後はどうしてもメルに立ち寄りたくて・・・数時間ですが、トランジットとしてメルボルンに寄りました。メルボルンにあるイタリアン通りと呼ばれるライゴンストリートで、メルボルンの友達とご飯を食べてることに。
帰りたくない~~~!!
と半分泣きながら、当時出ていたメルボルン→成田のジェットスター直行便で帰国しました。
まとめ
だいたいのながれはこんな感じでした。本当に充実した、あっという間の二年間。思い返すと、いつも私はたくさんの日本人に助けられています。
いろいろ移動しているので出会いあれば別れあり・・・という感じでその土地を去る時、いつもそこでできた友達とさようならするのがとてもつらかったです。
つらいということは、それだけ楽しく過ごしてこれたということ。連絡は取れるし、また同じような楽しい出会いができる!
と自分に言い聞かせて、涙を隠して笑顔で去っていくようにしていました。
出会った皆さんには感謝しかないです。あれから8年くらい経過していますが、オーストラリアで出会った日本人の方々とはいまだに連絡を取っています。
それぞれの詳細についてはまた個別に書こうと思っていますので、読んでくださればうれしいです。